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2009年1月27日 (火)

母の死に立ち会って

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母はこの一月六日に、二年有余の闘病の末亡くなった。

享年九十歳である。 自分と母とは、血のつながりはない。

生母は自分が一歳の時に、亡くなってるから、

母と呼べるのは、この育ての母である。 言うほどに

親子関係が、密であったわけでもない。 この間には

いくつかの心の擦れ違いのような時もあった。 心が

十分に通い合っていたとは言えない。 けど母が肺癌を

発症してからの、二年余で、かなりほんとの親子関係に

近づいたような気がする。 抗がん剤の点滴に、ずっと

付き添えたことが、お互いの間の垣根とかしこりとかを

取り除くのに、いい方に働いたようだ。 母には癌の告知は

しなかったけれども、脚が痛くなったり、息切れがしだしてからは

うすうす感じてたのではないだろうか? 八月から酸素吸入を

するようになってからは、癌の進行は、その速度を増した。

胸水が溜まり、骨に転移し、脳の延髄の近くに転移し

腫瘍を作った。 肺がんは、転移も早いし、苦しいとも

聞いたり、本で読んだりしてたから、ともかく痛みだけは

取り除いて欲しい旨、先生には頼んでいたんだが、幸いにも

モルヒネを処方するような激痛は起こらなかったのは、家族に

とっても幸いな事でした。 先生も看護師さん達も、こんなに

痛みを訴えない患者は珍しいと言うほどでした。 12月22日には

意識が無くなって、危険とのことで、われら子達は集まったのですが

翌日は、さよならするためか、意識を回復し、弱々しい声ながら

話も出来ました。 「ありがとう!幸せだったよ!」、「苦労じゃ無かったよ」

などと言ってもらえたことは、うれしくて目頭が熱くなってしまいました。

それからは、挨拶も済んだからなのか、再びこん睡状態になりました。

そんないつ急変してもおかしくない状態で、年を越しました。

明けて、正月3日に奇跡的に覚醒して、言ってる事に反応したり

笑顔をずっと我等に見せて、個々の識別もしてくれたのは

これまた以外でうれしいことでした。 これが最後の最後となりました。

あとは命の残り火を灯し切るように、だんだんとモニターの数値が

死へのカウントダウンとなり、穏やかに呼吸がか細くなって

黄泉の世界に旅立ちました。 午後4時35分で、母の時計は

止まりました。 亡くなる時は、ほんとに善女になると実感しました。

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