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2012年6月12日 (火)

高峰秀子さん

梅雨入りして、自転車に乗る日がないので、ブログネタがない。

自分の生活、考え、思いなどを書いても、中身がないからつまらない。

卑屈で、臆病な自分が露見するのも、嫌である。

だから罪のない、花や景色や自転車走行で、お茶を濁している。

そんならブログなど止めたらよさそうだが、いくらでも社会と繋がっていたいのと、毎日パソコンのキーを叩くことが、ボケ防止になるんじゃないかという、身勝手な思いで書いている。

 

今日は「徹子の部屋」で、2年前に亡くなった高峰秀子さんの話だった。

お相手は、養女となった斎藤明美さん。

出版社の記者であった当時から、高峰家に出入りして、子供のいない高峰さん、夫の松山善三さんに気に入れられ、養女となったようだ。

自分は、高峰秀子の映画は2本ほどしか見ていない。

自分とは、ちょうど20歳の年の差があるから、映画「二十四の瞳」は、後年テレビ録画で見たのだろう。

「名もなく貧しく美しく」も、リアルでは見てない筈である。

山形の田舎での映画は、公民館とか製材所にくる、月遅れ、年遅れのなっとこ映画と呼ばれた古いフイルムの映画だったから。

後年見た「無法松の一生」は、何処で見たのだろうか、映画館で観たのは確かだが?

 

子供時代は、養父、養母に育てられ、学校へも通えなかったので、読み書きは出来なかったという。

台詞は、口伝で覚えたものらしい。

子役時代から、スターになったのだが、親族の生活が、高峰の方にかかり、楽しいものではなかったと云う。

高峰が人間的に成長したのは、松山善三と結婚してからで、勉強も夫から習ったらしい。

松山が、清廉潔白、純粋無垢な心持なので、高峰は、人間不信から抜け出したと云う。

自分が後年見た高峰秀子は、言葉づかいも荒っぽい、蓮っ葉な印象であったように思う。

それも、子供時代から、大人の社会で生き抜いてきた強さの表れが、言葉の強さとなって出たものだ。

後年、映画から引退してからの、夫松山との生活が、平穏で幸せな時間で、待ち望んだことだったのだ。

読み書きできない子供時代を乗り越え、後年に三十余冊の本を書いたのだから、すごい人だったのだと改めて思う。

86歳で肺がんを患って、夫より先に亡くなったのは、強い生き方だけに、ストレスもあったのだろうと思う。

高峰秀子著の本や、斎藤明美の高峰秀子を書いた本を読んでみたい。

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