心と体

2009年11月 7日 (土)

義兄の死

前にちょっとだけ触れていた、脳梗塞を起こして入院してた義兄が、あまりにも突然に死んだ。入院して5日目の早朝である。

検査も済んで、胃ろうの手術を控えた当日の早朝に。死亡診断書には、急性呼吸不全とあったから、痰が喉に詰まったのであろうか?

ただ手術に耐えうる体力も有り、当日、手術を受けることだったから、正に寝耳に水の出来事で、遺族である姉の落胆と悲しみは、計り知れないものがある。

我ら兄弟姉妹、近所の方々も、突然の訃報には、驚きを隠せない。

明日の通夜、明後日の告別式、一人残された姉の心のケアなどで、時々、穴が開くことも、有るかもしれません。よろしく、お願いします。

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2009年4月22日 (水)

清水由紀子さんの死

元タレント清水由紀子さんの自殺が報じられた。

母親の介護に疲れて、心中をしようとしたが

出来ずに、自分だけ往ってしまったのではと、

推測されている。類似の事件は、有名人、一般人を

問わず何度となく起きている。要するに、日本は

弱者、老人、病人には住みにくい国だと言うこと。

北欧三国のように、年老いても不安を感ずることなく

生きていける国造りをしないと駄目なんじゃないのか?

その為に税金が3割になろうとも。国民皆が真剣に

そのことを考える時期にきてるんじゃないのかと。

老いは誰にでも来るものなんだから、国全体の問題として

捉えなきゃいけないと思うが、どうなんだろうか?

ただ、どれほどの人々が、他人事ではなく

自分事と考えることが出来るか、問題だ。

小手指原古戦場へ行く

過日、花を求めてポタしてる時に

小手指原古戦場に立ち寄った。前々より知ってはいたが

なかなか来るまでには至らないでいた。

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こんな所が合戦場かと思うほど、今は幼稚園裏の

のどかな畑作地域と、住宅地になっている。

戦国時代、源氏方の新田義貞と平氏方の北条高時が

戦った地とある。白旗塚という小塚と、古戦場の碑が

あるだけの、今は近くの保育園児が駆け上っているから

往時を偲ばせるのは難しい。

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桜の時期に、近在の和太鼓の競演が行われた。

3時過ぎに行ったから、ほとんど終わっていて

昭島の宮澤太鼓と、府中の大国魂神社の

暗闇祭りの太鼓だけ聞くことが出来た。

和太鼓は、どうしてこんなに心に深く突き刺さるんだろう?

日本人の血が、幼い時よりの祭りの記憶が沁み込んでる

からなんだろうか?この感動は?

府中の太鼓連は、分倍ヶ原の合戦の太鼓を演奏してた。

これは上に掲載した、小手指原で決着がつかず、再度分倍ヶ原で源氏と平氏が

何度となく戦った折の太鼓演奏らしい。

時としては、昔に思いを馳せて

今の現実を謙虚に感謝するのもよいかな?

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2009年1月30日 (金)

バランスが大事

前週に続き、血液さらさら教室に参加する。

前回は、動脈硬化は何故起こるか、その怖さを学んだ。

今回は、その原因となる内臓脂肪を減らす術を学ぶ。

要は、基礎代謝を上げる筋肉を付けること、即ち

運動と、必要カロリーを得る、バランスの良い食事ということ。

運動と食事、とりわけ食事の取り方が難しい。 

朝食、昼食に高カロリーの食事をし、夕食は低カロリーに

抑える、献立にするのが良いとのこと。

だいたい自分は、タンパク質を多く含む食品と

脂質を多く含む食品をとり過ぎていたようだ。

だから少しぐらいの運動では、内臓脂肪が消化しきれない

でいたのかな? これを機に、これらの点を注意して

見ようと思う。

  冬の中川 二景

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今、中川は拡幅工事が行われている。

この辺ばかりが、広くなっても、下流が狭いんだから

どうなんだろうか?

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御幸湖と権現堂堤を結ぶ、歩行者、自転車専用の橋。

最近、多くみられる、扇形の吊り橋系です。

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2009年1月29日 (木)

健康スタイル宣言だ!

メタボの動機づけ支援で、「健康スタイル宣言」をした。

<体重3KG減&腹囲3cm減>

上記目標を達成すべく

(1) ウォーキング2時間  4日/週

(2) 腹筋 30回  /毎日

これを6ヶ月実行すれば、目標達成sign02

それと大事なことは、目標数値の記録と計測に

あるらしいrun

頑張ってみるかscissors

  権現堂堤の冬

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春に黄色の菜の花が咲き誇る、今の状況です。

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水仙の花も、NPO、ボランテアの方々の手で

大分植えられています。

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小花の水仙だけなのは、残念ですが

徐々に種類も増やしてくれるといいなぁbud

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2009年1月27日 (火)

母の死に立ち会って

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母はこの一月六日に、二年有余の闘病の末亡くなった。

享年九十歳である。 自分と母とは、血のつながりはない。

生母は自分が一歳の時に、亡くなってるから、

母と呼べるのは、この育ての母である。 言うほどに

親子関係が、密であったわけでもない。 この間には

いくつかの心の擦れ違いのような時もあった。 心が

十分に通い合っていたとは言えない。 けど母が肺癌を

発症してからの、二年余で、かなりほんとの親子関係に

近づいたような気がする。 抗がん剤の点滴に、ずっと

付き添えたことが、お互いの間の垣根とかしこりとかを

取り除くのに、いい方に働いたようだ。 母には癌の告知は

しなかったけれども、脚が痛くなったり、息切れがしだしてからは

うすうす感じてたのではないだろうか? 八月から酸素吸入を

するようになってからは、癌の進行は、その速度を増した。

胸水が溜まり、骨に転移し、脳の延髄の近くに転移し

腫瘍を作った。 肺がんは、転移も早いし、苦しいとも

聞いたり、本で読んだりしてたから、ともかく痛みだけは

取り除いて欲しい旨、先生には頼んでいたんだが、幸いにも

モルヒネを処方するような激痛は起こらなかったのは、家族に

とっても幸いな事でした。 先生も看護師さん達も、こんなに

痛みを訴えない患者は珍しいと言うほどでした。 12月22日には

意識が無くなって、危険とのことで、われら子達は集まったのですが

翌日は、さよならするためか、意識を回復し、弱々しい声ながら

話も出来ました。 「ありがとう!幸せだったよ!」、「苦労じゃ無かったよ」

などと言ってもらえたことは、うれしくて目頭が熱くなってしまいました。

それからは、挨拶も済んだからなのか、再びこん睡状態になりました。

そんないつ急変してもおかしくない状態で、年を越しました。

明けて、正月3日に奇跡的に覚醒して、言ってる事に反応したり

笑顔をずっと我等に見せて、個々の識別もしてくれたのは

これまた以外でうれしいことでした。 これが最後の最後となりました。

あとは命の残り火を灯し切るように、だんだんとモニターの数値が

死へのカウントダウンとなり、穏やかに呼吸がか細くなって

黄泉の世界に旅立ちました。 午後4時35分で、母の時計は

止まりました。 亡くなる時は、ほんとに善女になると実感しました。

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2009年1月13日 (火)

母の葬儀

正月明けの6日に、母は享年90歳で逝った。

葬儀は我等子供と孫による家族葬で行った。

祭壇は花一杯に飾られて、母の遺影も

こころなしか、笑ってるように見えたのは

自分だけじゃないように思う。 子、孫、総勢23人の

少人数ではあったが、中身の濃い懇ろに弔えた葬式で

あったと、手前味噌ながら満足している。

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写真は葬儀翌日の、後飾り壇に置かれた遺影、

骨壺、生花等を撮ったものです。

家に戻った母は、九谷焼のつぼに納められ、49日の

法要を待ちます。

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2008年12月24日 (水)

母の病状

昨日夕方に、妹より母の病状の悪化と、

担当医の説明が有るから、来てくれとの

連絡が入り、嵐のような雨の中、栗橋の

病院に向かう。 雨と帰宅ラッシュのさなか、

3時間弱もかかり、到着する。 行きついた当初こそ

意識も微かながらあって、反応してくれたが、直に

意識が落ちてしまい、あわやとも、覚悟する。

自分の到着が遅れたため、担当医との時間がずれて、

結局、9時過ぎに説明を聞く。 癌が脳の方に転移して、

意識障害を起こしてて、覚悟はしてて下さいとのこと。

痛みは、意識障害のため感じないのか、全然訴えない。

11時過ぎまで居たが、変わりないので、姉妹に後を託し

病院を出る。 翌朝、交替するべく、7時に顔を出す。

母は思いがけなく、意識も回復し、話すことも

はっきりしていた。 けど、危険な状態にはかわりない。

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権現堂調節池のモニュメントと行幸湖の刻碑。

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幸手の弟宅、近くのミカンと柿のある家。

最近、幸手界隈では、大小種々のミカンが

大豊作だ。 これって、温暖化の所為?

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2008年12月 8日 (月)

母の再入院

癌が骨へと転移して、立てなくなったと妹より

連絡が入り、土曜日は休診なのだが、

緊急診療の連絡を病院に入れ、診察をしてもらった。

なので急きょ入院と相成った。 痛みがかなり

強かったので、痛み止めの点滴をしていただく。

夜には少し軽くなったものの、依然として痛むらしい。

かなり広く転移進行してるようで、痛みは止められても

再び立てるかは、悲観的にならざるを得ない。

そんな訳で、妹に後を託して、昨日、栗橋より帰る。

 

 名残の紅葉

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家のベランダからの秋景色。

これくらいが最高か? 過ぎると只の枯葉色になるだけ。

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公園の池の、秋風景。

森閑としてます。

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ダイヤモンド紅葉が撮れました。 カメラをのぞいてる時は

縦に光軸が通ってたんですが、消えてます。

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公園のイロハモミジ?の紅葉。

画像はすべて3,4日前のものです。

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2008年8月21日 (木)

酸素精製器

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前にフイルムカメラで撮った、栗橋町の赤蕎麦の花です。

母の外泊にあわせての、酸素業者からの、説明を聞きに行った。

酸素精製器とも言うべき、空気中から酸素を取り出す器械と、酸素ボンベの

使用説明である。 以前と比べると、軽量小型化して、使いやすくなってると

立ち会いの看護士さんも言っていた。 なるほど、想像してたよりも、コンパクトで

簡便な機械である。 機械の底部には、ローラが付いてるので、移動も楽にでき

チューブも20mくらい付いてるので、家の中では、不自由なく動けるとのこと

でした。 つけてる本人は、煩わしいだろうが、病室に一人でいるよりは

心強いんではないだろうか?

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2008年8月19日 (火)

酸素吸入器の設置

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前にフィルムカメラで撮った、黄色の曼珠沙華。今は珍しくなくなってしまったけど。

今朝は曇天のため、早朝はかなり暗く感じた。 いつもの周回をこなす。

まだ全然進歩がありません。 けどやり続ければ、そのうち結果となって

くれるでしょうか? 6周、80分で終わりです。

母の仮退院に合わせて、明日、酸素業者さんと、打ち合わせになりました。

妹の家にベッドと酸素を設置しての、療養生活に入ります。 妹も大変ですが

病院とは気持ちが違って、いくらかでも安穏に過ごせること、願うより

仕方有りません。 

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